一介のスキューバーダイビング・インストラクターからダイビングインストラクターを養成することをメインに
20年以上の歳月をかけて海に勤しんできました。
自然の中で気付かされた多くの感動をダイビングという枠にとらわれず自由な発想でできたら
素晴らしいと思い、このがっこうを2003年6月1日に開校しました。
マウイの自然の中で楽しみながら学んでいくプこのログラムはわたしが作ったオリジナルです。

わたしの目的はこの土地に皆さんが体験をシェアする場を作ることです。
その一環としてこのがっこうがあります。
わたしがみなさんと出会うのも楽しみですが、
このご縁が果てしなく広がるのがとても楽しみです。
このサイトに来てくれて本当にありがとう!
足跡
日本→オーストラリア→オアフ島→マウイ島と渡り、
ここマウイで子育てと夢の実現に向けてゆっくりと歩いています。
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わたしが最初に海外に興味を持ったのは、スキューバー・ダイビングのツアーでフィリピンに行ったときから始まりました。 母国語ではない英語を使って異文化を持つ彼らと、ダイビングという同じ目的を共有する不思議な体験でした。 |
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お金を掛けずに、ダイビングをする方法を求めていたら、いつのまにかインストラクターの資格を手にしていました。わたしが初めて講習したのがハワイオアフ島です。 ここに住んで生きていけるのなら、他に何もいらない・・・そんな魔力を持った島でした。 |
| 日本のダイブショップで働くことは当初の目的ではありませんでしたが、この経験が本来の目的に近づけているとは夢にも思わない時期でした。また、人にものを教える奥深さも味わうことが出来ました。 |
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ダイブショップを経営する初めての経験がオーストラリア・ケアンズで、英語も上達してきました。経営が苦しく人間不信になりかけた私を救ってくれたのが、ここで30年以上空手道場を開いている松本先生との出会でした。そして彼はわたしに人生の大きな目的を気付かせてくれました。 ひとがくつろげる場所を作りたいと思い始めました。 |
| 再びハワイに戻り、オアフに5年(いろいろな事がありました)、カウンセリングの勉強をするために一度日本にもどり、インターネットの会社に勤める傍ら、ダイビングを非常勤で始めたら、その道はマウイにつながっていました。 |
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私はダイビング・ショップをするのが目的ではなかったようです。 とうとうショップを開かずじまいで、15年の月日が流れました。 手に残っているものは、インストラクター養成の資格と、アメリカの永住権、そしてダイビングを通して知り合った、たくさんの人たち、それとカミサンと娘ひとり・・・・。 答えはとてもシンプルでした。自然を体験するお手伝いです。 |
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2001年9月にここマウイを拠点に宿と小さな畑をつくる土地を探す事から始める事にしました。 探しているうちに分かったことは、マウイは物件が高いということ、とくに畑を作るのに適したKULAというところは景色がよく不動産価値が高くとても手が届きません。ゾーンによって宿ができるところとできないところがあるという事。手付かずのような場所では古くから住んでいる地元の自治体が新しい事を、しかも日本人がする事をよく思わない傾向があります。 今の私でも出来ることは、マウイの自然の中でひとに感動を伝えるということ。 そこで2003年に”マウイ自然のがっこう”という名前でスノーケリング活動をメインにスタートしました。 社会活動をビジネスという形に割り切ることのできない性格は”マウイ自然のがっこう”を存続させていくことなど到底できないのではと悩む時期に、色々な仕事を副業にしながらも何とかこれ一本でやっていけるようになるまで4年の月日がかかりました。 その間に約450組の方たちと海ではカメ、イルカ、アザラシ、クジラなどの野生動物たちと感動の出会いを繰り返し、泳げない子供や海が怖い人などの方たちに海を好きになっていただくお手伝いをし、その結果、生きること、地球に住むことという規模で物事を考えるようになり、またそれに興味がある方たちが集まってきました。そしてその多くはリピーターとして再びこの活動に参加されるようになったのです。 人に自然を伝える喜びを、新しい人たちとのこころの出会いの感動を提供する喜びを、自分以外にもわけてあげたいと思い、2007年ヘルパーを募りました。 2008年夏には皆が集まれる場所の前身になる一軒家に移り住む予定です。 この計画に参加してみてください!ただ気に掛けてくださるだけでも結構です。皆さんの夢と私の夢がと繋がったら、なんと素敵なことでしょう。 一緒に味わってみませんか?
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